6時にアラームで起きる。
元々この宿は今日までの予定だったが2泊延泊することにした。
乗り継ぎのベツレヘムまで6.8シュケル。
地図を見ていると乗り継ぎ予定のベツレヘムを通り過ぎてから戻ってくる形に
看板からはヘブライが消えてアラビアだけに。
結局乗ってきたバスの進行方向に真っ直ぐ2分も進んでいけば右側
バスの出発を待ってる間に1.5Lの水を買ったが3シュケル、
1時間かからずにヘブロン到着。ここもパレスチナ自治区。
とりあえずそれらしき場所でこの人の名前知ってる?
村人その①「おー、知ってるよ!あそこだ!」
そこに向かって歩いていると
↓
村人その②「何探してんの?」
更にすぐそこだと教えてもらって行くとそこはちょっとした屋台だった
↓
村人その③「Welcome Japanese!俺のサンドイッチどうだい?」
どうやら人違いなようだ。
↓
村人その④「僕はその人の事を知らないよ」
その4は表に出ると誰かに〜〜のこと知らないかー?
↓
村人その⑤「おー!そいつ知ってるよ!
僕はもちろん自分では電話できないが番号をメモる。
↓
村人その⑥「俺は彼のこと知らないけどかけてやるよ!」
↓
村人⑦〜?「Welcome!」「Where are you from?」「I like sushi.」「Japanese people are nice!」「Tokyo Osaka Nagoya.」「May I cut your hair?」
めちゃくちゃ寄ってくるな!!
やはり決してアジア人が多くは無いので目立つのだが村人たちの目
そして遂に待っていたファコリ(?)がやってきた。
ここヘブロンは昔はパレスチナ人が自由に生活していたが2000
ヘブロンについて①
ヘブロンについて②
ヘブロンについて③
はいー非常にわかりやすいです。ここまで違いを見せつけられると若干やる気を無くしますが僕なりに頑張りますm(_ _)m
まずは活気に満ちあふれた市場を通ります。ウェルカーム!見てってよーと明るく話しかけてくれる皆さん。ちなみに写真の様に汚ねーのはここに限ったことじゃないから笑
少し行くとファコリが最初にここを見てほしいという。
昔はこの奥にも沢山店があったのに急に奴らが来て占領されて追い出されたんだ。僕らがテロリストだと報道されているけどテロリストはイスラエルだよ。と。彼はイスラエルの事をテロリスト、としきりに言っていた。彼曰くヘブロンには17万人くらいのパレスチナ人がおりイスラエル人の入植者は400人。その400人を守るために多くの兵士が常駐している、という話らしい。
更にオールドシティの奥に進んでいく。なんかシャッター閉めた店が増えてきた気がする。ん?
なんと。上に住むユダヤ人が下のパレスチナ人への嫌がらせで上からいたるものを投げ捨てるという(もちろんお互い自由に行き来できる構造ではないと思う)。衝撃だ。なにやってんすかマジで。(ただ、正直なところ今回僕はパレスチナ人側の話しか聞いていないので公平な立場では無いかも。でも、自分で調べた感じでもこの一連の問題はイスラエルに非があるように思えてしょうがないです。イスラエルも一度奪った自分たちの土地を手放すまい、と必死なんだろうなとは思うが。)
あの様に監視部屋がありイスラエルソルジャーが銃を持って下を見張っている。
ファコリにほらあそこに兵士がいるだろ、写真撮っときなよ、と言われて撮った写真。右上に写っている兵士が写真撮られている事に気づきピクってなったのはわかったが特に何も言われなかった。兵士側からしても自分たちを恨む相手の本拠地にポツンといるわけだから圧倒的な武力を持たないと制せないしもちろん不安はあると思う。先に言っとくがファコリは別に過激派ではない。しかし嫌なものが目に入るたびに「これが僕たちの人生だよ。自由もお金も未来も無い。生きるのは難しい。」この言葉を何回も聞いた。
この網はそれらの嫌がらせから自分たちを守るために作ったらしい。写真でもわかるように場所によっては全く店がやっていないところもある。しかし人とすれ違ったり、やってる店のおじさんは笑顔で僕に挨拶してくれる。本当に逞しく生きている。観光客は明日行くベツレヘムと比べたらかなり少ないだろう。実際奥まで来ると観光客などほぼいない。というか人もほぼいない。しかしそこで店をするほか無いのかもしれない。
急に現れるこんなの。詳しくは上のケンゾーさん達のブログを見てもらえばわかるが場所によってはパレスチナの人はこういうチェックポイントを通らないといけない。実は会ってすぐに二人で別のところを通過しようとしたが兵士のさじ加減で通らせてもらえなかったのだ。もちろん兵士たちは銃を持ってフル装備。なんというか、銃に耐性の無い僕からしたら目の前にあんなでかい銃を持った人がいるっていうだけで十分な緊張感だった。彼の気が少し変わっただけで殺されるんだなっていう。もちろん観光客をむやみやたらに撃つようなことは無いと信じたいが。
次は問題なく通れたが通過した後に兵士同士が言い争う声が聞こえた。振り返ると僕の次の人を通すか通さないかで揉めているようだ。そこには4人の兵士がいた。巻き込まれると厄介だと思ったのだろう、ファコリに手を引かれてすぐにその場を離れた。
さて、これがアブラハムの墓。モスクになっていてなんとムスリム側とユダヤ側で別れている。お分かりのようにこの場所自体はチェックポイントを通ったイスラエル管理の場所。パレスチナの人々はモスクに来るのにチェックポイントを通る必要があるのだ。
モスクに入るのは初めて。ここはただのモスクでは無いので僕の他にも団体の観光客などが写真を撮っていたりした。実はここ、1994年に虐殺事件がありパレスチナ人が29人も殺された場所でもある。更にきな臭いのはそれをイスラエルの兵士も援護した、という報道が流れたらしい。
このプツプツの穴から下を除くと数メートル先に蝋燭が灯っているのが見えた。
モスクを出て驚いたのだがチェックポイントの中にもお店を出している人がいる。客はモスクを見に来た人狙いだろうか。店のおじさんは「昨日は一つも売れなかったんだ。家族を助ける為に何か買ってくれないか?」と真剣な顔で寄ってきた。明らかに先ほどまでの外の雰囲気とは違った。パレスチナで見たことを忘れないためにも外よりここで何か買おう、と思い自分への土産を買った。値切ろうという気は起きなかった。
少し歩くとファコリから「そっちは行っちゃだめだ」と注意される。確かに兵士が2人見張っている。もしもその道をそれ以上行くと撃たれるらしい。。。下手なことをすると殺される、という経験は人生で初だ。
別のチェックポイントから出て最後に向かったのはファコリが進めるプロジェクトの現場。連れていかれた建物の中を覗くと大の大人5人くらいが汗を流して作業をしていた。
彼らはこのままだと未来の無い子供達の教育やコミュニティの場を作っているのだという。常にイスラエルに見張られている上にどこからの援助も大した仕事も無いので作業の進みは遅い、との事だが関わっている大人たちは大まじめな一方顔は明るかった。まさに子供たちの未来を切り開こうとしている。これが彼らのプロジェクトでファコリは子供たちに無償で英語を教えているらしい。
最後に2人で落ち着いて食事をしながら話をした。ファコリは精神的なストレスで右手が震えると言う。2000年までは自由な生活があったのに今は将来を感じない。特に子供たちを見て彼らの将来を考えるととたまに涙がこぼれてしまうと話をしつつも彼の眼は潤んでいた。彼は今日の様に観光客を案内しつつ、知り合いのお土産屋に立ち寄ったり気持ばかりの寄付を子供連れの家族に分けたりしているらしい。
最後に僕はこの旅で最初のそして恐らく最後の寄付をした。もしかしたらその寄付に対して批判する人もいるかもしれないけど自分の目で見て感じた事だから後悔はしないだろう。物価の高いこの地において大した額では無いだろうが少しでも将来に繋がってくれたらうれしいなー。
またチェックポイントを通ってバスの出発場所まで戻る。2人でハグをしてからファコリは「ブラザー、またヘブロンを訪れてくれるのを楽しみにしてるよ。ありがとう!」と言って手を振り去っていった。
帰りも又ベツレヘムでバスを乗り換える。ここまでは同じだがここからは少し違う。パレスチナ側からイスラエル側に行く時はスムーズにはいけないのだ。バスが停まったかと思うと皆降りだす。僕も従って降りる。まず兵士がバスの中をチェックした後1人ずつ呼ばれる。兵士と客の間には立派な盾のようなものが置いてある。隣のおじちゃんに「パスポートチェック?」と聞くと「そうだよ。心配するな!」と笑顔で肩を叩いてくれた。順番になると無表情な兵士にちょいちょいと指先で呼ばれて、身分証明書の様なものを見せて荷物の中を見せる。その後行け、とでも言うかのようにバスの方を指される。イスラエル側から入るときは何も無かったのに。
すさまじい現実を見た一日。心も体も疲れたけど明日もパレスチナの町を見て来ようと思います。