良い天気だ!今日も良い一日になる気がする!ヒヴァ良かったわー本当に。さようなら!
シェアタクシーに乗りヒヴァから移動の拠店となる町ウルゲンチに向かう。10,000て言われて払ったけど高すぎたかもね笑。ヌクスに行くってドライバーに言っておいたのでヌクス行きのシェアタクシー乗り場で下してくれた。ってかシェアタクシー出るところ一か所にまとめてくれー。今回はこんな感じのスタジアムの隣に路駐しているタクシーがそれ。ってかどこもなんかそんな感じ。
荷物は紐で括り付ける。まぁ今日は雨降らないべ!スムーズに4人集まりヌクスに向けて出発。1人30,000スムだった。4ドル少々だな。
ヌクスとはカラカルパクスタン共和国の首都とされている町。カラカルパクスタン共和国とはウズベキスタン領の西部に広がる地域。調べてみても位置づけが難しいのだがWikiを抜粋すると
ウズベキスタン共和国とカラカルパクスタン共和国との関係は、ウズベキスタン共和国憲法の枠組みの中において、両国の締結した条約と協定によって調整される。カラカルパクスタン共和国は、カラカルパクスタン国民全体の国民投票に基づいて、ウズベキスタン共和国から脱退する権利を有する
参照:ウィキペディア
らしい。つまり脱退する権利はあるものの今のところはウズベキスタンの中に大人しく収まっているというところだろうか。
そもそも共和国とは
国家が国民全体に所有されている状態、すなわち君主が存在しない国家である。
同義の漢語には民国、衆国がある。
でも共和国は必ずしも完全な主権を有している主権国家のみを指すわけではなく、例えば旧ソビエト連邦は15の共和国によって構成された連邦国家であった。
参照:ウィキペディア
更に君主とは
世襲により国家を治める最高位の人をいう
参照:ウィキペディア
ふむー。ウィキペディア神。そして少しだけカラカルパクスタンの輪郭が見えてきたような気もする。そういえばジョージアの北側にもロシア連邦に所属する共和国幾つかあったよな。
カラカルパク語はカザフ語と発祥を同じくする言語らしい。再びwikiによると
本来、民族は文化や社会制度なども加味されたうえで分類されるべきであるが、言語によって民族を規定する方式は旧ソ連の指導者スターリン自信が言語学者であったことに基づく。
参照:ウィキペディア
らしい。面白いなぁ。勉強になるなぁ。ウィキペディアはマジで界王神だなぁ。ブログを書いてるときにする調べものって大体充実している。そしてどんどんが過ぎていく笑。
え?そんなことよりも最近ウィキペディアをそのまま引用し過ぎてるんじゃないかって?僕が勝手に噛み砕くよりそのまま載せた方がわかりやすいっしょ!僕は友人に教えてもらってオフラインで見れるウィキペディアのアプリ持ってます!そしてウィキペディアに寄付もしたことあります!なのでこれからも多用させてもらいます!笑
荒野を2時間弱走りヌクスに到着。今まで見てきたウズベクの町はブハラとヒヴァという独特なものばかりなので比べれないが急に近代化した町を見せられた気がする。そして人口密度が低いよねここも。
宿は事前に調べていたJipek Joliに来た。この町いわゆる安宿は無いとの噂でこのJipek Joliでも最初は一泊30ドルと言われた。たけーーーー( ;∀;)。ちゃんと料金表にも表示されていた。しばらくモジモジ君になっていると2泊で40ドルにしてくれるというので泣く泣く承諾。二泊して行きたい場所があるから。そういえばbooking.comだとやっぱりここの30ドルが最安だったなー。
昼過ぎには到着したので博物館に行ってみた。宿から5分もかからない。
チケットを購入してバッグは預ける。カメラはバッグに入れたか?スマホはポケットに入っていないか?と何度も確認されてから入場。ここはロシア人の民族学者のコレクションの一部が展示されており、事実はわからないが巷ではヌクス唯一の見どころともいわれている。
中には絵、木彫りの彫刻、セラミックの置物、ここらの地域の伝統的な衣装、カラカルパクスタンから出土した装飾品や土器等が飾られており予想以上に楽しめた。意外だったのは現地人(カラパクかウズベク人?)が子供から老人まで結構来ており、結構興味深そうに展示品を眺めていた事。やはり自分たちの文化を大切にしているというところなのだろうか。
博物館を出る時に話しかけてきたおじちゃんは「日本人と一緒に働いているよ」と言う。よく聞くとカラパクじゃないけどウズベクの別の町でJICAの職員と一緒に働いているらしく彼らにとても良い印象を持っているようだった。僕が今までの旅中でJICAの話を実際に見たり聞いたりしたのはパナマ、パラグアイ、セネガル、エジプト、そしてこのウズベキスタン。結構手広くやってんだな。現地の人が良く思ってくれているというのは素晴らしいこと。
歩き回っても心惹かれるものは特になかった。 だから写真もあんまり撮らず。このブログに載せたのがほぼすべて。
お、ここでも木の手入れしてるね!数年後どうなるのか楽しみにしてるよ!
そんな中、独立広場というところがありそこには町のシンボルとも言えそうな立派な銅像が立っていた。広場に入り銅像に向かって綺麗に整備された庭を歩いて行く。「ピーピーピー」うるせーなーと思い振り返ると僕を指さしている。あ、入っちゃダメなの?なら柵くらい立てとけよ。公道からそのまま続いてんじゃねーか。結局カメラの中を見られてデリート。折角綺麗な庭と立派な銅像見ようと思った観光客になんという仕打ち。彼はにこりともせず職務を全うしてた。
この写真は残ってていいのか知らないけど消されなかったからまぁ良かろう。左がウズベキスタン、右がカラパクの(国)旗。真ん中が白から黄色になったのかな。
僕は先日トルクメの首都アシュガバードで間違った電車に乗りましたね?覚えてる?もしもあの時正しい電車に乗ってたらアシュガバード→トルクメンバシ→トルクメとカザフの国境→アクタウ→カザフとトルクメの国境→コングラード→そして今いるヌクスという予定だった。
ごちゃごちゃしてて申し訳ないけど時計回りが理想ルート、反時計回りが現実ルート。理想ルートだったら華麗なルートだったのになぁ。現実ルートはヌクスの後同じ道を通って東に戻らないといけないんだー。
そして理想ルートの場合、僕がカザフから最初に入るのはウズベキスタン領内のカラカルパクスタン共和国ということになる。今まで歩いてきて、いわゆる未承認国家の沿ドニエストル共和国とかコソボとかナゴルノ=カラバフとか出入国にはなんかしら気を遣わないといけないことが多かった。
スタンプ問題とか他の国に入れなくなる問題とか。そういうのを恐れていたのだがここカラカルパクスタンは至って平和。独自の旗などは持つものの、独自の国境線などは無いしもちろんスタンプも無い。普通にシェアタクシーに乗って寝ていれば気づけばカラパク内に入っている。まぁウズベクの憲法にのっとっているという事で当たり前なのかもしれないが、両者で全然敵対意識というのは無さそう。国旗も至る所で2つ並んでるしね。
ウズベキスタンとかの末尾の"istan"とはペルシャ語で「~の国」を表すらしい。そこから勝手に予想するとこの地域に多く住むカラカルパク人は絶対独立するぞ!っていうよりも別にウズベキスタンに不満は無いけれども、独自のアイデンティティを守りたい一心で今みたいにカラカルパク「スタン」を意識してるのではないか。とはいってもカラパク内の民族構成で一番多いのはウズベク人らしい。複雑だけど別に喧嘩するつもりは無いということですね。
自分ルールだけどここはウズベクと変わらない気がするので国数には数えないことにする。
またまた溜まった日記を更新しようと思ったが通常30ドルもするくせに大して使えないwifiに嫌気が差してすぐ諦めました\(^o^)/。そして今更ながら猿岩石のヒッチハイクの旅を見始めるのであった。