今日はまさに調整日。夜にはバスに乗り約10日旅をしたポーランド出国!
メインは日記と今後のルート(結局日記も追いつかなかったけどな!)
つい昨日、ある場所である人に会う予定が立った。そこでそこに至るまでのルートを逆算で考えてみる。
あ、全然全然全然全然全然足りねーわ。日数が。
本気で行きたいところ巡ると目的地に到着するのに2ヶ月半〜3ヶ月欲しい。でもそれって要は東欧だけでトータル3ヶ月以上使うということ。考えてみよう。東欧だけで三カ月以上。日本を出る時旅の期間は1年〜1年半で考えていた。
出発する前に世界中で行きたい「点」はある程度目星をつけていたのであとは行き当たりばったりでそれを「線」にして行く。最初はその点を繋ぐのでも十分旅だと思っていた。細かいところまでは出発前には考えておらず東周りで一年ちょいで行こう!としか考えていなかった。
そして、この東欧はまさかのほぼ点すら考えていなかったところ。つまり出発前は東欧に興味が沸くところがあまり無かったということ。そんな東欧だけで3ヶ月かかるとしたら世界を一周したら何年かかるのだろう。なぜ東欧に3ヶ月も割きたくなった?
それはやはり出発してから今のこの旅、についての心持ちが大きく変わったことだろう。
最初はオーストリア→カナダ→アメリカ、とまさに観光地や友達に会いながら決めていた点を結ぶように進んだ。ここまではほぼ最初の僕のイメージ通り(アメリカの車での横断は諦めたけどね!)。
ここからメキシコに入っていく。丁度約1年前か。初のスペイン語圏、そして一般的に治安が悪いと言われる国。そして1人。緊張していたのは簡単に想像してもらえると思う。
ロスからの飛行機でメキシコ第二の都市グアダラハラに降り立った。普通だったらいきなりメキシコシティに行ってもいいものだがなんとなくアドベンチャーを求めてグアダラハラに決めた。ここら辺から僕の意識は少しづつ変わり始めていたと思う。
空港で前の欧米人がリュックに南京錠をつけているのを見て緊張感が増したのを覚えている。今までは空港とかバスターミナルから宿までの移動なんてほぼ苦労しなかった。しかしそこは違った。
一応簡単にはバス乗り場とかを調べて行ったつもりだが結局行ってみると、場所を突き止めるのに苦労した。しかも変にシャイになっていて周りの人に聞くのも緊張していた。早くしないと到着する頃には暗くなってさらに状況が悪くなる。
なんとか突き止めてぎゅうぎゅう詰めのバスに立ち乗りで乗り込む。金の払い方もよくわからない。混雑している中あのでかいバックパックを取り回すのはなかなか困難だ。そしてスリに気をつけなければならない。最初は物珍しげに見る現地人の目はカモネギを見ているようにしか見えなかった。
周りに神経を尖らせながら地図のアプリを見つつ大分近づいてきたなーと思っていたら急に動かなくなるバス。事故か?いつもの渋滞か?運転手が叫ぶとなんか降り始める客。空いてきてラッキーだなーと思っているとバスに乗っているのは僕だけ。運転手は僕に向かってなんか叫んでいる。あ、これはここで降りろって言ってる。
よくわからない道のど真ん中に降ろされて残り2キロちょいを歩く。やっと見つけた宿。スタッフは英語を喋ってくれた。僕は英語も大したことがないがそれでも全く未知の言語と比べたら英語がいかに便利かを実感した。
そして到着するころには暗くなってしまったが腹減った。町の感じ見てたら明るいところだったらなんか食いに行っても大丈夫じゃね?自分のなんとなくの感覚を信じることにし、一応必要最低限の貴重品だけ持って無難な店を探した。オープンで入りやすくて注文しやすそうなところ。
やっと入った店で見たメニューはスペイン語のみ。よくわからないので適当に頼んで自分のメキシコ入国祝いで1人で本場のコロナを飲んで宿に帰り寝た。
↓(結構強がって書いてる感有るけど今でも鮮明に覚えているということは結構Excitingだったし今思えばそれなりにその状況を楽しめていたのだと思う笑)
メキシコ入国
その後は40度近い熱を出したりなどトラブルもありつつメキシコ、グアテマラで全く予定していなかった町も含めて縁があり幾つかの日本人宿を経験した。そこには僕が今までは出会ったことのないような魅力的なまた不思議な多くの日本人旅人、また管理人や住んでる人と知り合い色々な経験をした。
1人で世界を回っている大学生、メキシコでプロレスの修行をしている人、2年以上日本に帰っておらずここらをずっとフラフラしているという女性、その町を気に入って家を借りてしまった人、マクラメの石の仕入れのために世界中を旅しているという人、毎日観光など一切せずにそこでまさに生活をする人、3年かけてアラスカからウシュアイアまでチャリで下っている人、アワヤスカという聞いたことも無い怪しいものを経験してきたという旅人、通りががった時に利害が一致して日本人宿で管理人を始めた人、中米でスペイン語留学をしたという人、毎日マクラメを編んだりポイを振り回したりアサラトを振ったりジャンベを叩いて何週間も過ごす人、数週間読書をし続けていた長期旅行者、旅でたまった膨大な暇つぶしデータを交換し合う人、自分で作ったパンとかを町に売りに行く人、足を骨折して数ヶ月滞在することになった人(笑)などなど。
え?旅ってこんな形があるんだこんな自由な形の旅最高じゃん!時には観光をし、時には誰かから1秒前に聞いた場所に行くと決め、時には気に入った町で生活をし、時には気のあった旅人とバカみたいに酒を飲み、時には少しリスクを承知でまだ見ぬ場所を求めて未知の国に飛び込み、時には節約やワクワクを求めわざわざ苦労するルートを選び、時には周りに道連れにされたり逆に道連れにし、時には通り道の興味のない田舎街を刻み、時には何もせずに自分の趣味などに勤しむ。
最高じゃん!!旅始めてからマイナーなところに行くのにも喜びを感じてるしね。そういう旅してる方が面白い出会いも、面白い経験(トラブル込み)も、考えることも多い。ってか自分の中での「旅」というイメージにぴったりくるのってこれじゃない?話を現在に戻すと、結構今の自分の旅ってそういう感じになってるんじゃね?
ということで西欧も綺麗だし再会も多く楽しかったのだがやはりバックパッカー向けなのは東欧だろう。西欧は刺激が足りない気もする。再出発してから結構せかせかと動いてきたのでそろそろどこか物価の安い国でスローライフを送ろうと思っていたのだ。
ということで全然×5足りなかったルートを見直してみる。すぐ目についたのはウクライナのリビィウ5泊、ハンガリーのブダペスト7日。そうです。そこで何をしたいか。答えは何もしない。ってか下手したら1ヶ月くらいどっかで生活したいくらいの勢い。これらの休憩場所は僕が暫く一緒に旅をした某K・Pの影響を色濃く受けている。
それも本当に良いことだし捨てがたかった。何もしないにしても得るものが何もないとは思わない。異国の地で誰にも干渉されずに日本での休日と同じように過ごす。そこでは現地の知り合いも増えるし、交通手段も乗りこなしてくるし、安いスーパーもわかってくるし、その町に馴染も感じてくるし、同じような感覚を持った日本人との出会いもあるだろうし、お気に入りの場所もできてくるし、時間があれば自然と1人で客観的に自分を見たり考えたりする。時には家族や友人の有難味を痛いほど感じる。そしてある意味最高の贅沢なのだ。好きな場所でかつ物価を考慮して選べば月30000円で上記の様な贅沢な生活ができる。ストレスはほぼ無いのだ。(ほぼ、ね笑)これもかけがえのない経験ではないか。
しかし今回はもうしばし移動続きの旅をすることに決めた。やっぱ理想の旅があるって言っても色々Limitはあるに決まっている。本当にこのスタイルを突き詰めたら3年あっても、いや5年あってもこの旅を終えるには足りないだろう。今回の集合はそれを程よく意識させてくれた。序盤は調子に乗ってある意味飛ばしすぎて予想外にグアテマラに2ヶ月も滞在してしまったのだ。しかし後悔は一切なくこの旅の中でも上位ランクインするくらい最高の時間だった。
と、いうことで、とりあえず合流場所までに行きたいところは山程あるのだが一部は将来の旅行用に残すことにし、厳しい選別をしてここからは「点」を繋いでいきます。ってか点にしても今となっては魅力的な所多いな。マジで鬼の仕分けしなければ。ゆっくりすることと見たいところを少しでも多く見ることを天秤にかけた結果。この結論に至ったりそのなんとなくのルートを調べつつ考えたりするだけで昨晩から併せて約12時間くらいかかりました
そしてこれを機に日本に帰るまでの大まかなルートが頭の中で構築されました。遂に日本まで結べて来たか。もちろん途中でしばしゆっくりするところも検討してます!
ということでヘタレ旅人の贅沢な悩みでした\(^o^)/笑
さてさて!これよりウクライナのヨーロッパ側、リビィウに向かいます!さようならポーランド!
P.S. 昨晩両腕と首を何かの虫に刺されてめちゃくちゃ痒いです。
P.S. ジーンズのリアルダメージがやばいです。今までは常に周りに素敵な日本人女性たちがいて優しく縫ってくれたりしたのですが、一気に数カ所破れ始めたこれはもう繊維の寿命が来てる気がする。ウクライナでジーンズ買うか。
P.S. グアテマラで買った400円のレイバンもご臨終してるのでウクライナで買うか。あ、キャップもエジプトの王に捧げてきたんだ。買わないと。寒いウクライナに売ってんのか?笑
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