~2023年5月30日より3ヶ月予定でヨーロッパ旅に出ました!~
wordpressに移行したことにより、若干エディターの使い勝手に手こずっています。少しずつ改善していきます。

ドイツ

DAY384,385 ドイツ:ベルリン 歴史を少しだけお勉強inベルリン

あーーーーー、体ダルいーーー( ´Д`)気が抜けて今までの疲れが出たのか病気の前兆なのか。ということで無理はしないために2泊の予定を3泊に変更して2日間でみたいところだけゆっくりと見てきた。ちなみにベルリンはユースホステル発祥の地らしい。確かに€10代前半で評価の高い宿が多かった。(やばいな、怠けてるな写真少ないな最近。。笑)


飯も面倒臭いのでお手頃なもの無いかなーと探しているとありました。マイブームケバブ!いやね、ケバブは世界を救うと思いますよ。€3ユーロでお腹一杯。野菜も意外と入ってます。最初はかなり食いづらいのが面倒臭かったけどそれにも慣れました。ビッグマックと並んでたら迷わずケバブを取りましょう!

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向かったのは当時の壁の構造がよくわかると聞いていた場所。Nordbahnhof駅で降りる。ちなみにベルリンの電車は慣れるまで乗りにくい。まず切符の買い方もわかりにくいし路線図も見にくいし駅の表示も不親切。ちなみに改札とかは無いので自分で意識して打刻機みたいなのに通さないとキセルになるそうな笑。チェックにも会わなかったしまずバレ無い様な気もするけど。そしてね、高いんだよね。一日券を€7だけど確か3回くらい乗るならもう€7超えてた気がする。


さてさて!今日は良い天気だね!左側に見えてるのが壁。今は綺麗に整備され観光地になっている。 

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今は何も無いところにもところどころこんな感じで記録されている。こんな先進国のドイツに1989年まであったんだから驚きだよね本当。

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そして僕がベルリンに滞在していた10/3。この日はなんと!ベルリンの壁が崩壊した日らしい*\(^o^)/*3日が終わってからこの事実を知ったのが少し残念。フランス革命の記念日にも立ち会えたしなんか持ってんな俺!ということでこの記念すべき10/3は引くくらいに多くの店が閉まっていました。
それもあり翌4日には現地の高校生達がグループで見学に来ていた。教育の一環なのだろう。

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犠牲になった人達。ところどころろうそくやお供え物が置いてある。たった数十年前の話だからね。

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ちなみ今立っているここは壁と壁の間の空間、つまり緩衝地帯。さらに後ろ側にもう一枚壁があり、また動きを感知するケーブルが貼ってあったらしい。壁を越えようとしたのは市民だけではなく時には兵士だったらしくてそれで身内で殺しあったこともあるそう。


このすぐ前にベルリンの壁記念センターというのがある。これ超オススメです。ってか先日行ったイースト ウォール ギャラリーよりもこっちの方が良い。

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無料で入れるのだが物、写真、映像、解説で壁事を説明してくれている。久々にもっと英語できれば良かったと思った。

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特に映像がリアルで建設途中、高い建物から飛び降りて壁の向こう側に行こうとする市民、市民の「私達は人間だ!」というデモ、壁と緩衝地帯越しに家族に手を振る女性、壁をぶっ壊すところなどなど。


第二次世界対戦後に敗戦国のドイツは戦勝国であるアメリカ、イギリス、フランス、ソ連に分割して統治されることとなった。東側が社会主義のソ連、西側がアメリカ、イギリス、フランスの三か国。ベルリンはソ連が統治する東ドイツの中にあるのだがベルリン自体も四つに分割された。その結果東ドイツに住んでいた人の中で社会主義への不満が高まり東ドイツの中にある自由を求めて西ベルリン(アメリカ、イギリス、フランスの部分)に移動する人が増えた(当時東西ベルリンは行き来が自由だったらしい。又移動した人の中には有能な知識人なども含まれていたという)。その流出を防ぐためにソ連側の敷地に設置されたのがこの壁。つまり、ベルリンをど真ん中から2つにぶった切ってるわけではなくて東ドイツの中で西ベルリンが孤立するかのようにクルッと周りを囲んだ壁なわけです。でも別に西ベルリンを孤立させてやろうっていうよりは東ドイツから人々を逃がすまいとする壁だったってことですね。 そのために町を丸ごと囲むとかやることがぶっ飛んでる、というか狂気じみてるよね。

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上に登ると保存されている壁全体の様子が見える。手前西側。緩衝地帯にはパトロール用の道、監視塔等そしてまた壁。

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Brandenbrgerで降りて向かうのはブランデンブルグ門壁がこのすぐ西隣に建設されたらしく当時は東ベルリンの行き止まりとされ閑散としていたらしいが今では観光客で賑わっている。

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そのすぐ近くにあるのがユダヤ人犠牲者記念碑。多くの議論を経て完成したらしいこの記念碑。長方形の石が規則正しく並べられているのだが高さが段々に変わる。また足場も下って上ってとなるので迷路のような不思議な感じ。

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さらに歩いてると僕は1つの楽しみを思い出した。紅葉。薄っすらと黄色くなり始めている。去年はカナダのメープル街道(不完全だったけど。。)で見たが今年はどこにしよう。クロアチアのプリトヴィツェ?ウクライナの愛のトンネル?それとも他のどこか?プリトヴィツェいいな。でも間に合うかなー(^_^;)

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一年前の紅葉。少し残念だったけどね!

ポツダム広場。ここは壁の周辺なので開発が遅れていた地域らしいが一気に近代的な建物が立ち並んだ場所。
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ここにも壁が置かれている。東側が大分L字に伸びているのは東側から穴を掘っての突破を難しくするためらしい。
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本当はこの辺りをもっと歩いてベルリンの近代的な面も見たかったのだが人が多いところに行く気が起きなかったので断念。

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Stadtmitte駅で降りて向かったのはCheckpoint Charlie。東西ベルリンのチェックポイントだった場所の1つ。ソ連側を向くのはアメリカ兵士の写真、アメリカ側を向くのはソ連兵士の写真。車で突っ込んでゲート事破壊して強行突破しようとする事件があるなどもあったらしい。今はもちろん平和で制服を着た兵士が一緒に写真を撮って小金稼ぎをしている。このすぐ前のチェックポイントチャーリー博物館も壁の資料や脱出しようとした人の手段などが展示されていて評価が高そう。

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いやーベルリン歴史を少しだけ勉強した滞在でした。ベルリン最終日の夜。まだ決めてなかった。明日はどこまでいこうかな。ポーランド?チェコ?ドイツの他の町?とりあえず東だ!バスと宿も考えないと。パレスチナやベルリンを見て改めて思いました。自由って最高に素敵ですね。もちろん大きな責任も伴うけど(^_-)

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