27歳独身無職の世界一周 2年間5大陸63カ国の一人旅

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~工事中(2019.03.09)~
見苦しくてすみませんm(_ _)m

ウズベキスタン

DAY563 ウズベキスタン:ヌクス かつて「海」と言われた場所

投稿日:

6時過ぎに起きて洗濯と朝飯を済ませる。
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今日は20世紀最大の環境破壊とも言われる場所へ向かう。目的の町はムイナクといい、ここヌクスから直線距離で200kmくらい離れたところ。宿のスタッフに行き方を教えてもらった。


まずばバザールの隣にあるバスターミナルからゴネゴラというバスターミナルに向かう。

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1番手前の列に停まっていた47番に乗ったらすぐに到着。ムイナク行きのバスは9:00発らしいがビビって宿を7:30に出たら8:00にゴネカラに着いてしまった。

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通勤しゆく人々を観察して待つか。こういう所謂バスターミナルにみんな集まってきてまたそれぞれの行き先の車に乗って散っていくって海外だとたまにあるけど日本だと見ない光景だよねー!

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ブハラとかヒヴァにいた時以上にカラパクの人々の顔は日本人に似てきた気がする。西に進んで逆に日本から離れたのにちょつと不思議な気分。トルクメいた時はモンゴル顔とアジア顔とロシア顔が分かれていたがウズベキスタンでは全体的にアジア顔が多いと思う。特に女性はOLさんみたいなスカートにストッキング、ストパをかけたようなロングヘア、ハイヒール、おでこの上に引っ掛けたサングラス、と最早一週間前まで居たイランでは考えられないような事になっている笑。後ろから見たら日本人女性と見分けつかないし、やはり若干顔の違いはあるが、もし日本語で話しかけられたら日本人だと思ってしまいそうなくらいのレベルで似ている人も結構いる。

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違いを感じるとしたら、日本人だと若干しにくいような派手な色のチョイスかなー。女性の服装は洗練されてる感合ったけどバッグはちょっとダサめだったかも。ロナウドとかの写真が印刷されたナップザックを背負ってる青年を数人見た。やべ、人の事言えないのに上から目線だな。バッグは日本人のセンスとは違うかもということで。。あ、あと日本代表の古いジャージ来てるおじさんも目撃した。


普通イスラムの国では嫌われている犬がそこらへん走り回ったりしてるし!笑。アザーンなんか聞こえないし寧ろお祈りしてる人も一回も見てないなー。そこらへんの事情は興味深い。


8:30頃にバスが到着。結構な人が一斉に乗り込んだが僕が観光客だと気付いたドライバーの息子が1番前の特等席に座らせてくれた!出発の時には通路にも人が一杯に立つくらいの混雑。

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そこから3時間くらいこういう道をひたすら進む。

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12時過ぎにムイナクとうちゃーく\(^o^)/

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ヌクスに戻るバスは15時が最後だと教えてくれたが、地図を見た感じ途中のコングラードで乗り換えたらもっと遅くても帰れそうなので無理そうだったらすぐに諦めよう。

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早速タクシーに乗り込み1番有名なスポットに向かう。運転手は少しだけ英語を喋り、29なのにまだ結婚してないのかみたいになりプロブームプロブレームとしつこかったのが若干うざかった笑。5分くらいで到着したのはこのモニュメント。

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Aral Sea。え?Sea?
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辺りは見渡す限りの砂漠。

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ふ、船が、、、

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そうです。ここには元々水があったのです。一時は世界で4番目に大きな湖。在来種の魚の他に外来種も放流し当時はアラル海周辺は漁業で成り立っており、渡り鳥も飛来した。また、砂漠の中にあるオアシスでもあった。しかしソ連が当時金になった綿花栽培に力を入れ始め、大規模な灌漑を始める。その結果アラル海に注ぎ込む水量は減り水位は大幅に減少し湖岸線はここムイナクからはなんと77kmも後退した。77km?半端じゃない。1970年代には年平均60cmの水位減少がありひどい時には一晩で数十m湖岸線が遠のいたらしい。今立っているのは元湖底。

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その悲惨すぎる現状はちょっと長いけどWiki引用。

アムダリヤ川の河口部の湿地帯は干上がり、植生砂漠の植物に変わり、マスクラットが巣を作れなくなり、渡り鳥が飛来しなくなった。大アラル海の塩分濃度は1993年に海水を越えて(37g/L)、2000年には海水の2倍(70g/L)に達し、塩分に強いはずのカレイですら死滅して漁業が不可能になった。湖の中にあったバルサケルメス島やヴォズロジヂェニエ島、コンスタンチン島などは地続きになり、バルサケルメス島のクランはオオカミの脅威にさらされ個体数が激減した細菌兵器の開発が行われていたヴォズロジデニヤ島では細菌の流出が危惧された。こうしてアラル海周辺の多くの生物が死滅し、漁業や魚肉加工業や毛皮産業が衰退し、9割の漁民が他地域に移住・転廃業して、いくつもの村が廃村になった。追い討ちをかけるように、干上がった湖底から砂嵐が舞い上がり、塩害により住民の健康被害や植生の破壊を引き起こした。」
 

ということで元々この町の周りは湖に囲まれていたが、水位低下で逃げ遅れた船たちが今でも残されている。なんか荒野に集結する姿は戦隊ものの乗り物に見えなくもない。。不謹慎か。

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また青空に綺麗に映えるなー。観光客はおろか地元の人すら1人もいなかった。

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環境破壊によって生まれたこの景色。寂しさと同時に素直に美しいなぁと感じるのは僕だけ?
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何よりも人間のすること1つでそんな簡単にでっかい湖が消滅の危機に追い込まれてしまうというのが衝撃的。同じ事を繰り返さないように歴史を学ばないといけないね。

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これなんか中々立派な船ですよ。

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どういう気持ちで見ていいのかいまいちわからないがやはり今自分が立っているところが当時は湖底で、目の前のこの船に乗って元気に漁をする人々を想像してしまう。なんか旅に出て想像力が豊かになった気がする。


次に歩いて向かったのはこれ。
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漁業が栄えていた頃の名産はキャビアや缶詰だったらしくこれはその工場跡。工場跡と聞いて周りは何も無いようなところにぽつんと残されているのかと思いきや、すぐ隣には普通に人が住んでいそうなところに突如現れたイメージだった。

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別に廃墟好きではないがこれは立派でかつ当時の事を想像させる廃墟だった。
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敷地内に入っていいのかよくわからなかったが至る所で細々と作業する人々がいたので自然に入れた。外国人の僕を見ても最初物珍しそうに眺めるだけでそこまで気にしてる感じでもなかった。もしかしたらこの施設を再利用しようという活動が始まっているのかもしれない。

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工場跡を出て少しだけ町を歩いてみる。

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町についてすぐに感じたが意外と普通、というか正直死にゆく町のイメージがあった。しかし来てみると町はそれなりにでかく、建物によっては綺麗で、また何より若者や子供が多かった。

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少しだけ歩いてからタクシーに乗る。町内の小学生くらいの子供が自分たちだけで乗ってくるのが印象的だった。移動は安く、一回乗って0.1ドルとか。到着したのは博物館。入場料は幾らか忘れたが安かった。
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小さかったけど映像もあり言葉がわからなくても歴史を簡単に知るにはとても良かった。
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入館料が安かったのもかつてこの地域が綿花に走ったように欲を出し過ぎると痛い目を見る、というのを肝に銘じているようだな、とか勝手に考える。ソ連の政策だったのだろうから住む人の気持がどうだったのかはわからないけど。

途中から若干意識し始めて急ぎ足だったがギリギリ15時発ヌクス行きのバスに乗り込めた。来た時と同じ乗員でまた特等席に座らせてもらった。感謝感謝町の入り口を通り過ぎるとちょっとした湖を通り過ぎる。これは人口で作ったものらしい。その橋に明らかに海鳥とわかる白い鳥が沢山いた。もしかしたら数年後には元通りとは行かなくても渡り鳥が沢山飛来するような景色を取り戻しているのかもしれないな。

夕方のバスターミナルや隣のバザールには今までどこに隠れていたんだというくらいの沢山の人。なんか安心。余計なお世話か笑
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明日はカラパク出てかの有名なサマルカンドへ移動だー!なんてワクワクする名前なんだ!

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