27歳独身無職の世界一周 2年間5大陸63カ国の一人旅

PLAYING HUKKY

~工事中(2019.03.09)~
見苦しくてすみませんm(_ _)m

ボスニア・ヘルツェゴビナ

DAY416 ボスニア・ヘルツェゴビナ:サラエボ この旅で最低テンション更新

投稿日:

今日見るところを軽く下調べしてのんびりと出発。残念ながら晴れてはいないけどまぁしょうがない。雨は辞めてほしいところ。ここのモスクはどれを見てもドーム状の本体にミナレットが一本併設している。見慣れない形だからワクワク!シンプルでかっこいい。
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凄いハトだ。昨日は雪が降っていたけどここが旧市街の中心のバシチャルア。
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ここからトラムの三番に乗って終点に向かう。先に遠いところから見て行こうという作戦!今日はキオスクみたいなところでチケット購入。
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終点までは思ったよりも遠い。このトラムはスナイパー通りと呼ばれる通りを縦断する。ボスニア紛争時に敵のセルビア人が高層ビルからこの通りの動くもの全てを標的にしたという。。

結構トラムは混んできて立っている人もチラホラ。ぼーっとしていると前の方から一目散に僕の方にやってくるがたいの良い男。一言"Ticket"。僕はハッとした。チケットを買ってはいたのだが車内の機械に通すのを忘れていたので時間などが刻印されていない。男はランダムで乗り込んでくる検査員だろう。

案の定カモンと言われて付いていくとその機械を指さしてこれこれみたいな。僕は、あーごめんね観光で初めて来たから慣れてないくて、とその場で通そうとしたがチケットの裏を見せられ一連の英語での注意事項と罰金のところをドヤ顔でペンペンと叩く男。ごめんごめん、ほらチケット持ってるでしょ、次から気を付けるよ、という間もなく罰金の領収書みたいなのを書き始める。はーーー。ダメだな。この国と相性悪いのかな。昨日と違い今日は自分のミスだ。文句もクソも無いので罰金の26マルク(約1500円)を払う。すると他の乗客は一切確認することなく降りていく男。皆通さなくていい定期的なやつ持ってんのかな。そりゃ現地民1人ずつ確認するよりミスしやすい外国人ピンポイントで狙った方が効率良く罰金獲れるよな。彼は仕事ができる男なんだろうな。まぁ、僕は嫌いだけどね。。。
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放心状態で最前列に座って何も考えずに乗り換え場所の終点の駅に到着。二回目だけど自分が悪いことは良い訳のしようがないす。1500円失ったとか言うことよりも昨日からの災難続きでテンションはがた落ち。何もする気が起きなくなりトラムを降りてベンチで10分くらい行き交うバスを眺める。目的地まではここからバスに乗って行かないといけないのだが完璧に観光意欲も削がれていた。自業自得だと言われればそれまでなんだけどね。

さっきまでは調べれば調べるほど興味深い町で後一泊じゃ足りなかったらもう一泊して行こう、とまで考えていたのに。相性悪いから一泊分捨てて今日出発しようかな。とりあえず今予定のところ観光してもネガティブにしか見れないなと思いそのまま逆方向のトラムに乗り中心地でチェックしたところだけを見て宿に戻ることにした。いやー本当に沈んだわ。。。

ほどほどなところで降り、川を見ながらとぼとぼと歩き出す。いやー本当とぼとぼだったねあれは笑。よく見ると向こう岸の山の上の方には白い雪が見える。
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これはボスニア・ヘルツェゴビナの国旗。見慣れないけどかっこいいね。
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サラエボがドイツから解放された時の解放者を称え、またその後の内戦での犠牲者を慰霊しているらしい。ってかおばさん煙草吸ってんけどもしかしてその火で・・・・・・笑
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道を歩いていると突如現れた道路の傷と赤いペイント。これはサラエボのバラと言われるらしく紛争時の砲弾投下により死者を出した場所を赤い樹脂で埋めたもの。紛争の記憶を風化させない為なんだろうな。
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最近たまに見るでかいチェス。ギャラリー沢山。
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セルビア正教の教会。中にはやはり沢山の宗教画が張られていた。この後も幾つか正教の教会の中を見たいな。
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これはカトリックの大聖堂。
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これはユダヤ教のシナゴーグ
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そしてモスク。アザーンも流れこの時間には多くの人が礼拝していた。
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凄いな歩いて3分くらいのところに四つの宗教施設が集まっている。非常に興味深い。旧ユーゴスラビアを構成していたこのボスニア・ヘルツェゴビナ。隣接するセルビアやクロアチアは民族の名前から国名を付けたらしいがここは民族や宗教が多すぎてそれではうまく行かないためにボスニア地方とヘルツェゴビナ地方という地名から国名を取ったらしい。

しかしロクシタンなどの結構ナウいお店もある。
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オスマン帝国に属したこともあるのでトルコに寄っているのを凄く感じる。ケバブやシーシャが吸えるお店なども多かった。
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これは1984年に開催されたサラエボオリンピックのブッコというキャラクターらしい。ってか僕はサラエボでオリンピックが開かれていたことすら知らなかった。ユーゴスラビアはソ連と決別し独自の自主管理社会主義というものが導入され、他の東側諸国と比べるとかなり自由が認められていたらしいそもそも複数の宗教、民族が入り混じった状態で長い間緊張の少ない時代が続いたらしいが本当に凄いよね。多民族で混住や結婚も普通にあったらしい。
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トイレ。な、なぜ日本語が。
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そして到着したのはここ。ラテン橋と呼ばれ日本人なら誰もが聞いたことのあるサラエボ事件の現場のすぐ目の前の橋。
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この橋のすぐ北側のここの道が事件の発生現場。
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正直言って「第一次世界大戦の火蓋が切って落とされた場所」的な丸暗記しかなかったので勉強してみた。当時オーストリア領に併合されていたボスニア・ヘルツェゴビナ。それを特に良く思ってなかったのがこの国に住んでいたセルビア系住民。彼らはセルビアや他の南スラブ諸国への統合を望んでいたらしい。そんな中オーストリアの大公とその妃がある祝日にここサラエボを訪問することとなった。そしてその訪問時ここで不満を持っていたセルビア系の犯人たちにより夫妻は銃殺された。後にその銃はセルビア政府からの支給だということが判明。もちろんキレたオーストリアはセルビアに対して最後通牒という受け入れがたいものをセルビアに付きつけ、それをセルビアが飲まなかったので宣戦布告。そして当時複雑な同盟、対立関係にあったヨーロッパにおいて連鎖的に開戦した。奥が深い。もう一回後でWiki読もう笑

この右の角は博物館になっており犯人たちの写真や大公が乗った車の写真、銃などが展示されている。
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昼飯はボスニア・ヘルツェゴビナ料理の代表格ということでチェバプチチというのを食ってみた。若干スパイシーなハンバーグ的なのをナン生地に入れて食う。美味いし食べごたえはあるけど半額でケバブ食えるからケバブでいいかなーという感じ。正直な感想。
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さて、少し町から離れて見晴らしが良さそうな方に行ってみるか。広場から北東の方に向かって坂道を登ってみる。歴史を感じる住宅地に出てきた。
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墓が並んでいると思ったら紛争中にこの見晴らしの良い丘でスナイパーに射殺された人々の墓。一般人でも問答無用で射殺される状況で夜のうちに運ぶこともできずその場に埋葬した結果こうなったらしい。更に、ここ、元々はオリンピックのグランドだった場所。なんて悲しいことなんだ。そして平和の祭典オリンピックがこの地で開催された後にこんな惨劇が起きるなんて。それも自分が生まれた後の話というのが衝撃的すぎる。それにしても凄い数だぞこれ。
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もう少し登ってみる。
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家の門は日本とシンパシーを感じさせた。
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ってか、そこら辺の家よく見ると
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ま、ま、ま、ま、まじかこれ絶対弾痕だよ。。。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。僕的にはこの町に実際来てみてサラエボ事件よりもこっちの方がよっぽどインパクトでかかった。それについてはまた後で。

トルコとはやはり仲良し
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そして見晴らしの良い丘に出た。いやーこれはちょっと霧が残念だな。
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そして歩いていても気になったがモスクの数が半端ねー。鉛筆みたいなのは全部モスクのミナレット。
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現在ボシャニク人と呼ばれるムスリムが48%、セルビア人が37%、クロアチア人が14%となっているらしい。でもそもそも宗教と歴史の違いで三つの民族に大きな違いは無いらしい。

下に降りて宿に帰ろうと思ったが底辺まで行っていたテンションは歩いているうちに復活しこの町への強い好奇心に嘘は付けなかった。やはり歩こう。

やってきたのは市場
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一見普通の市場だが歩いているとこんなものがある。ここ、紛争中にセルビア勢力が砲撃を加え「一般市民」が68名死亡、200名以上が負傷した場所。想像するだけで地獄絵図。これはその時の跡を保存しているところのようだ。水滴で良く見えなかったけど。
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そして今日最後に来たのは
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ここは1995年の11/7日にサラエボで起きたスレブレニッツァの虐殺に関する博物館。紛争中に10000人近くのボシャニク人つまりムスリムがセルビア勢力によって虐殺された事件。1995年だぜ?僕が小3の時。オリンピックが開催された後だぜ?日本にいるとまさに遠い世界の出来事だけどこの現場で学べるのは本当に貴重な経験。ってか特に東欧入ってから歴史と触れ合うことが多すぎる。学生のとき「近代史」とか大体学年末に時間無くなって適当に流す項目だもんね。縄文時代とか戦国時代も良いけど日本では絶対もっと近代史力入れた方がいいよ。これは間違いない。

1990年に共産主義が放棄され、多党制になるとロシア正教のセルビア人、ムスリムのボシャニク人、カトリックのクロアチア人とそれぞれ民族を代表する政党が台頭してきた。時を同じくして旧ユーゴスラビア諸国は独立の気風が高まった。ボスニア・ヘルツェゴビナ内ではそこの意見が各民族で異なった。結果三つ巴の陣取り合戦が始まった。虐殺や見せしめの暴力など民族浄化が繰り広げられる。ユーゴスラビア軍やNATOも介入する泥沼。最終的にデイトン合意で紛争は終結したが、今でもボシャニク人とクロアチア人主体のボスニアヘルツェゴビナ連邦とセルビア人主体のスルプスカ共和国の二つに分かれる連合国家となっている。(←僕のアウトプットに付き合ってもらってありがとうm(_ _)m)

その紛争の虐殺に関する博物館。英語でも多少理解できる長めの映像が上映されている。特に印象的だったのは学生の女性が「今から通ることろはスナイパーに狙われてるから走って道を渡らないといけないの」と説明した後に慣れた感じで友人と道の向こうまで走る映像。また別の映像で紛争について喋っていた女の子は恐らく僕と同じ歳くらいだろう。

ふー。なんか色々ヘビーな一日だったぜ。ムスリム文化が強いだけあってスイーツ充実してたから一個買って帰った。
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↓朝一と同じカットのライトアップバージョン。
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宿では日本人の女子大生と出会った。1人でサラエボ来るとか中々強者だな?笑。すると話に入ってきたトルコ人。御存じかも知れないがトルコ人は沈没船の話から日本人にかなりの好意を持ってくれている。最近のトルコはどうかと聞くとイスタンブールも乗り継ぎとかならいいけどstayはしないほうが良いと言われた。トルコ人が言うならそうなのだろう。

すると気づけば日本人2人とトルコ人3人でテーブルを囲っていた。トルコ人多いな!笑。彼らがトルコのお茶のみに行くけどということで僕たち2人も便乗させてもらった。ってかここらへん結構いい雰囲気の入りたくなるカフェやレストランが多い。写真撮ってないけど洗練されてると思うよ。

店は少し混んでいたが何とか5人座る。と隣にいたおじちゃんもトルコ人だった笑。なんでトルコ人はこの国好きなの?と聞いてもわからないという。多分トルコと似てるべ?あれか?日本人が台湾に行くノリ?イスタンブールからだとすぐだもんな。トルコのお茶飲むときは僕たちが奢るよ!ということで当たり前のように1人2杯ずつおごってくれた。良い国民性だなー将来トルコも行こう!
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宿に戻ると乾いたバックパックに荷物を詰めなおし明日の出発の準備。一度テンション激落ちしたサラエボ、やはりもう少し見たいところがあるので明日は昼過ぎまで少し出歩いてから次の町に向かいます!自分も勉強しながら書いてると時間かかるけどやっぱ充実してる時間。

P.S.パッキングしてるときにふと目に入って1人笑った光景。誰の???歯ぎしり防止?笑
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